大統領就任式から1週間半。あれからまだ10日ほどしか経っていないとは思えないほど、あらゆることが大きく動いている様子の毎日です。

中でも気になるのは、「キャンセルカルチャー」と「Stop bulying」の違いについて。どちらかのみをサポートするには矛盾が濃すぎるかもしれないと思う点を挙げてみます。

Stop Bullying

学校でもネットでも場所を問わず「いじめ防止」を推奨することに反対する人はまずいないかと思います。それでも、個人の存在を否定する行為が、おそらくどの文化でも見られるのは残念な現実でしょう。

疎外されている人に声をかける、黙ってみていないで、他人から間違った扱いを受けている人のために声をあげる。こうしたことは、人として実践したい常識の1つかと思いますが、現代において社会的に「Stop Bullying」がごく当たり前のこととして認識されているのは良い傾向だと思います。

キャンセルカルチャー

現在のポリコレにそぐわない人、行動、思想、政治的な視点などの発言の場を取り上げたり、その存在をなかったことにするというキャンセルカルチャー。実に大胆な消去方法で、歴史上でもあちこちですでに見られていた動きですが、最近は特にこの動きが国内で正当化されているように見受けられます。

ファクトチェッカー

ソーシャルメディアのプラットフォームで頻繁に行われているというファクトチェッキング。事実にそぐわない内容をフラッグしてアカウントを利用停止にしたりすることのようですが、チェックする側の視点により、その対象になるものが違うという点も指摘されています。また、先日には、あるプラットフォームは、ユーザーが投稿した内容が「事実に反している」と別のユーザーが判断した場合に、それを「報告」できる機能をパイロットで始めたとか。

根本的には同じ

自分のスタイルとは違う人を除け者にする行為という点では、上記のどれも同じ。とはいえ、ブラック&ホワイトで方が付かないことが多い人間社会では、これをどう正当化するのか気になるところです。

キャンセルカルチャーは根拠があるから悪いと思わないけれど、いじめは良くないという人もいるかもしれません。また、既存の人や物の存在をキャンセルするという傾向がまかり通るならば、いじめも許されるのでは、と思う人もいるかもしれません。

近頃は、視点ベースの事実なのか、どの視点から見ても完全な証拠ベースの事実なのか、といった点が、事実を語る上でいささか曖昧に判断されることも少なくないように見受けられます。

Takeaway

自分の考えに合わないものを全てキャンセルしていく社会の前例は歴史を見れば分かります。現代では、見かけが良ければ実際の内容や詳細は大したことではないといった傾向も、残念ながら否めないかと思います。他者をキャンセルする前に、自分がサポートする行動に明らかな矛盾がないか、まず自問する必要が増しているのかもしれません。